山田武敏氏は独自のパルス「JPJC ( Just Point Just Channel  )システム」を開発し、不可能と言われていた色覚異常治療に大きな実績を残しました。同氏は関連のクリニックを2000年で全てクローズし、米国・中国での特許取得を機に世界進出を計りましたが、力及ばず、2016年志半ばにして鬼籍に入りました。

この度、山田武敏氏に関わる残された貴重な資料を散逸させぬようネット上に保存し、後世に伝える事に致しました。

このサイトを眼科のお医者様がご覧になり、ご興味を抱き、「試してみよう」と、令和の日本に再度JPJCのクリニックが甦る事を切に願うものであります。

*緊急お知らせ

2021年10月2日~3日、「癒しフェア in TOKYO」於 : 東京ビックサイト南1ホール オプティマルライフ(株)様ブース内にて、JPJCシステム最新進化版" Brain Refresher " の体験会を行います。お気軽にご来場の上お試し下さい。


山田武敏 ( 1928~2016 ) 新潟県小千谷市生れ

醸造家に生まれたが、獣医師資格を取得した後不動産業で財を成したようで、1970年代にはタイで旅行業も営んでいる。

現在でも指定難病の一つであるベーチェット病に罹り、失明の危機に晒された。病院を転々としたが西洋医学では治らなかった。そこで独自に東洋医学等々を捜しまわり、治してしまった。生前、これが「JPJC」開発の契機だ ( 本人談 ) と語っていたが、今となっては真偽の程は分からない。

紀子夫人が医師であったことから、武敏氏は山手線目白駅前に自身が開発した「JPJC」システムを活用したクリニック ( 目白メディカルクリニック ) を開設し、本格的に色覚異常治療をスタートした。

ずいぶんと話題になったようで、紀子院長 ( 当時 ) が米国版PHP誌の表紙となり、トップ記事に掲載されているものが現在でも残されている。



当初は色覚異常の治療のみだったようである。ところが、学校での一斉検査で我が子が色覚異常だった事が判明し、付き添いでやって来た母親が「痛くないよ、お母さんも一緒にやるからね」とたまたま通電した処、「最近目が悪くなってきたのが、良く見えるようになった。」とか言うような、予期せぬ結果が次々と現れた ( 山田武敏氏談 ) のだそうである。氏は患者さんの声を記録し、レポートを書籍にまとめた。その中に英語の書籍も残っている事から、それが米国のPHPの取材に繋がったのかもしれないが、今となっては分からない。


全国から患者さんが目白に上京し、夏休みなどの長期の休みになると駅前に患者さんの列が長蛇を為した ( 山田武敏氏談 )。

そこで新大阪・九州は福岡にそれぞれ1クリニックを開設し、3クリニックの体制で治療するようになったが、予期せぬ事が又発生し始めた。色覚異常治療の子供さんの成績が良くなり、何か所も尋ね歩いて治らなかった夜尿症が治り、車酔いや花粉症にも良い等々、患者さんから続々と予期せぬ感謝の声が届くようになったのである ( 山田武敏氏談 )



3ヵ所のクリニックは写真の様にクリニックの常識を超えた、まるで学校の授業風景さながらだった。

何せ、100坪の治療室にフルで200人も同時に治療できる体制がとられていたのですから。

医師の常識とは一線を画した山田武敏氏の、いわば事業家ならではの展開だったようです。

上の絵は治療前。治療後の絵は下の様に「カラフル」に変わっています。

早春の草木の緑、夕焼けの空、秋の紅葉、これまで気付かなかった世界が現れたのですから、「人生が変わった。こんな素晴らしい地球に生まれいてたんだ、という事を治療後に知りました。色覚異常のすべての方に治療できるんだという事を教えてあげたい。」竹村氏談

全国に色覚異常のお子さんを持った親の会も出来ました。



このような嬉しいニュースがある中、世の中は別な方向に動きました。

1993年、当時の文部省は進学時調査書から色覚の項目を削除。

2001年、当時の厚生労働省が雇い入れ時の健康診断から色覚検査義務を廃止。

更に2003年には小学校健康診断時の色覚検査義務廃止。

いずれも先天色覚異常が進学・就職時に不利になり差別に繋がらないように、という主張が強まったからです。

山田武敏氏はこの様な環境変化に失望しクリニックを次々とクローズしてしまい2000年をもち、JPJC治療は絶えてしまいました。

平等の名の下に色覚異常を自覚する機会が無くなりはしたものの、現実問題として就職時や日常業務で支障を感じる人達が出て来ます。

日本医師会からの要請もあり、2016年、小学校での色覚検査が < 希望する生徒のみに > 復活しましたが、残念ながら、現在に至るまで「色覚検査で異常を発見する事は出来るが、治療は出来ない。」というのが日本の現状なのです。

なんとかJPJCシステムを復活したクリニックがオープンして欲しいものです。



2000年、山田武敏氏はクリニックをクローズするのと並行して世界進出を志します。具体的には米国の国際特許を取得すべく動きました。

日本国内でこれまで特許を取得しようとしたが、「日本医師会の常識として遺伝性の先天色覚異常は治らないとなっている。治らないものを治す特許なんかある訳がない。」と、特許庁では門前払いだった。( 山田談 ) 

そこで、「いっその事、日本医師会の力が及ばない米国で取ってやろう、と思ったんだ。」( 山田談 ) 

2006年に取れました。

「例えば、先 天的な知能障害(ダウン症候群など)、後天的な知能障害(老人 性痴呆症など、鬱病など)、或いは色盲等脳神経にまわる各種機 能不全・不良状態の改善や解消を達成し、また、健常人であって もEQやIQなどの知能レベルを向上・改善できる通電システムに 関するもの」として取れたのです。

後世の為に、以下、特許を取得した時の書類を列挙します。


資料―米国特許 色盲治疗其他➡美国专利














山田武敏氏は中国で数千人規模での色覚異常治療を、中国の衛生部主催で行ってます。勿論日本国内でも独協医科大学の関教授が学内で行ってますので、その報告書もアップしました。